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下のレポートは次のページでごらんいただけます。http://www.christianhospitality.org/pages_20items/palestinian-boy.htm
ムハンマド君は、ネッツァリムジャンクションで、イスラエルとパレスチナの衝突に巻き込まれ、イスラエル軍の弾が当たって死亡したと言われていました。しかし、弾痕の形状や、その現場での聞き取り調査などで、彼を死に追いやったのは、イスラエル軍の弾であった可能性はないという結論が出されています。
その後、アメリカのメディアであるWorldNetDailyの調査で、この事件そのものがパレスチナ人による「やらせ」であり、ムハンマド君は実際は生きているのではないかとの疑いもあるそうです。2002年に、「ジェニンでの虐殺」があったものと見せかけるため、死体の振りをしていたパレスチナ人がストレッチャーから転げ落ちて、歩き出したという一件から、ムハンマド君の事件が「やらせ」であったとしても不思議はありません。
この事件(下の記事では2000年10月6日となっていますが、9月27日としている記事もあります)については、疑問な点がいくつかあります。
1. この現場が、パレスチナの民間人が普通に通行する場所ではないにも関わらず、この親子がここにいたという点。
2. この父親が子どもをつれてきたという点。
3. 衝突があったときすでに、カメラマンがその場にいたという点。
これらについて、次のページで紹介している写真入レポートの翻訳からの抜粋を下に上げておきました。
「悲惨なことに、こういうことが、Netzarimジャンクションの人気のない高速道路の交差路で起こった。そこは、人里はなれたイスラエル軍の前哨地帯があるところで、パレスチナ人の家や学校、公園からは遠く離れている。この航空写真から、パレスチナ人父子の位置が、向かい側にあるイスラエル防衛軍前哨地帯に向けて、パレスチナ警官が銃撃をしかけた位置とまったく同じであることがわかる。守備についていたイスラエル防衛軍兵士は、そこにだれがいるのか知らず、応戦した。悲しいことに、悲劇が起こった。パレスチナ人は、7方向から攻撃してきたのか。イスラエル兵士側は、2方向から撃ち返した。このパレスチナ人の父親はなぜ子供をつれてきたのか。カメラマンはなぜ、そこにいればよいことを知っていたのか。」
この事件が起こったとき、周辺にはパレスチナ人のやじうまがたくさん来ており、「今のは失敗。もう一度やり直し」とげらげら笑う声が聞こえていたそうです。
この事件については、次のページも参考になると思います。必読サイトです。
だれが
ムハンマド・アル・ドゥラを殺したのか?
2000年10月6日、12歳のムハンマド・アル・ドゥラは、図らずも、その年にパレスチナ人が始めたインティファーダの事実上のシンボルとなり、また、その「ポスター・チャイルド」となってしまった。ムハンマド君は道でイスラエル軍めがけて石や鉄パイプ、火炎瓶を投げていたのではない。彼と父親のジャマールは、ただ単に交差射撃を浴びてしまっただけだ。だが、本当にそうなのか? 若いムハンマドの命が急に摘み取られてしまってすぐ、イスラエル防衛軍は少年をまったく偶発的に射殺してしまったことを謝罪した。彼らには巨大なバレルの背後にいるムハンマドと父親が見えなかったのであり、また、イスラエル防衛軍自体の交戦規則でも、兵士は無害な傍観者を故意に銃撃することを許されていない。彼らは、みなの知恵を絞っても、誰一人として、ムハンマド・アル・ドゥラが彼自身の民族の手により殺害されたかもしれないとのシナリオ、すなわち、パレスチナ人の名射撃手とテレビカメラマンによって演出・実行された残酷な脚本を想像だにできなかったという過ちを認めている。 証拠...弾痕
射撃特性を知る者ならだれでも、90度の角度からまっすぐに対象物を撃った弾の痕[左]はほぼまん丸であることがわかる。その同じ対象物を90度以外の角度で撃った弾は、少しは貫通するかもしれないが、湾曲し不規則で散発的な輪郭になるものである。[右]
証拠...銃撃の方向
上にあるのは、IDFの要塞にいるイスラエル軍隊がほぼ全方向から銃撃を受けているところを写した航空写真である。パレスチナ人射撃手の発砲は赤線、応戦するIDFの発砲は青線で示している。IDFの要塞と、ムハンマドと父親の隠れている位置がどのくらい離れているのかを知るために車が道路を走っているのに注目。また、IDFのライフルから発砲された弾はどれも20度から25度の角度で壁に当たることにも注目して欲しい。これでは、壁に丸い均整の取れた穴が開くことは絶対になかったはずだ。 証拠...死の場面
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脚注:
ムハンマド・アル・ドゥラの遺体は解剖に付されうる前に、また、いかなる調査命令も出されうる前に埋葬された。ヨルダンの病院に搬送されてすぐ、ジャマル・アル・ドゥラは最初のテレビインタビューを受けた。彼は息子が「背中を打たれた」と強調した。息子の後ろから銃撃してきたイスラエルの軍隊はいなかったことを知ると、彼は憤慨し「誰だって真実を知っている。息子を殺したのはシオニストの弾なんだ!」と答えた。(コーランがすべての殉教者に約束しているように)息子が天上の処女と終わりなきセックスを楽しんでいるとの思いと、(殉教した子供に自治政府から支給される)2000ドルのボーナスがジャマルの客観性を曇らせたのは明らかである! さらに、客観性といえば、カメラマンの目的も問題になる。この驚くべきビデオを撮影したカメラマンはフランス2で働いている。「フランス人がなぜ、ムハンマドを殺害したパレスチナ人ガンマンの弁護をする必要があるだろう」と思われるかも知れない。確かに、このカメラマンはフランスのテレビ局で働いてはいる、しかし、彼の名前は「ピエール!」などではない。 タラル・アブ・ラーマという名前である。そう、彼はパレスチナ人なのだ! なんたる偶然! タラル・アブ・ラーマが真実を語ろうものなら、今回の紛争が終わるまでエンドラインに追いやられることだろう。また、腹に弾丸を受けてムハンマド・アル・ドゥラ同様の結末を迎える可能性だってある! |
参考資料として次のサイトもごらんください。
http://mideastreality.com/japanese/onrecordj.html
http://sf.indymedia.org/news/2002/03/118938.php
http://www.jcpa.org/jl/vp441.htm
http://www.geocities.com/rachav/netzarim.html
http://www.geocities.com/rachav/Doriel_Investigation.html
http://gamla.org.il/english/war/dura.htm